最近念願のRTX4060を買いまして、FF7リバースをやっています。いやー、コンシューマゲームやるのって結構久しぶりで、今どきのオープンワールドゲームってこんなに凄いのかって感心しています。RTX4060にしたのはSteamのデファクトの統計を見まして、良いチョイスだなと思ったからです(AIのローカルコンピューティングにリソースかける気ないし)。 ぶっ通しでやってるけど、全然終わる気がしないね。ゲーム実況そんなに見ないので、今ってこんな概念が流行ってるのか、って結構勉強になります。

で、話は飛んで今ってオープンワールドとスローライフ・クラフトって流行ってるんだなーと今更ながら気が付きました。その後、なぜか幼き頃見てた世界名作劇場が懐かしくなり見返したんですね。私って宮崎駿のジブリな世界観も大好きですが、むしろ再放送で見た高畑勲の地続きな空想的な演出に見せられて…更に言うと原体験は「七つの海のティコ」とかあれ以降の作品だったりするんですよね。でも、最近こういう話減ったよな~って思ったりしてて。

なんで減ったんだろう、という妄想をしてみた。

耐え難きを耐えられなくなってきた

ひとつは耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶくらいなら抗えよ、って価値観になってきましたよね。「おしん」みたいなのが受けなくなったと思います。 北斗の拳がずっと受けてるのは、チート主人公みたいなのは元々光源氏の頃から我々は好きなものですが、大体の場合仏教的な悲劇的な話題が一緒についています。人類は古来からずっと好きだったんですが、最近は後者がオミットされてる感ありますよね。現実がつれーんだもん、妄想だけはハッピーにさせてくれよ、って感じかな。

現実が知られすぎてきた

多分90年代ギリギリまではアメリカ開拓時代とか、スイスのアルプスとか、ケニアのサバンナとか、中東のダマスカスとか、ミクロネシアの自然とか、そんなところがフロンティアだった気がします。だから大自然の中でメソジストみたいなスローライフ、みたいなのが受けてたと思うんですが、ゼロ年代から恐ろしく減りましたよね。 恐らくスローライフ志向自体は昔からあって、それを異世界で済ますようになってしまったのではないか説。 某夢の国は元々はそういうコンセプトで、地続きの歴史ロマンが詰まってるわけです。ワタクシ、あの夢の国ではトムソーヤ島とかウエスタンリバー鉄道みたいなの大好きだったりするんですよ。当の夢の国自体がそんなコンテンツを作らなくなりました。まあ、舞台的な意味ではあるんですけど。すごいやっぱり、異世界よりになったと思うんですよね。ラ◯ンツェルのランタンを見て私達は「ワぁ素敵」って言うし、若草物語みたいな牧歌的な感じよりRED D◯AD REDEMPTIONの荒っぽい方で銃をぶっ放す方が面白んですよね。多分、現実を知りすぎてしまったのかも。

民族や自然文化に興味がなくなってきた

これはあるかも。というより、例えば和風なら甲冑とか着せといて、みたいにテイストを大事にするようになってきたのかな。ヒストリーチャンネルやナショナルジオグラフィックみたいなものに興味ある人って、多分減ってると思うんですよね。 例えば「民族風な音楽」ってなったら、とりあえずアイリッシュなテイストの楽器使ってミクソリディアンで構成すれば良いわけです。でも、実際にはもっと文化・歴史ごとに音楽とかも十人十色で、あんまりそういうものは求められなくなった、って感じがする。自分はそういうものを直視しているクリエイティブは大好きなんですが、時代考証をしまくってて深い教養に裏打ちされてる作品って減りましたよね、って感じはしますよね。でも、総合的な論理は全体ベースでみんな上がってる感じがします。作り手が多くなった、ってことなのかも。

綺麗になりすぎてきた

最近のアニメって綺麗すぎません。デジタル作画するようにするのと新海誠や京アニ路線がウケるようになってから、これでもかってくらい、益々綺麗になってますよね。で、ふと気付いたんですが、私は19世紀のフランス趣味があるので、印象派やアール・ヌーヴォーが好き過ぎて「ノイズのある抽象化された複雑さ」に美しさを感じたりします。あとFM音源も好きすぎるものの、80~90年代のFM音源は聞こえ上はスッキリしてるんですが、実際には非調和倍音の響きの美しさってのがあると思うんですよね。今って、永井博みたいな80年代に描かれた精緻でスッキリと整理された情報がカッコいい、みたいな感じになってるじゃないですか。リアリティを感じられるものの方が、表現として好まれるようになってきたんでしょうね。で、最近スクエニがHD2Dの表現を取り入れてる、ってのが結構良い理論だな、と思ったんですが、我々オッサンは子供時代にブラウン管を通して見てたので、それ自体が抽象化されたアートみたいなものだったんだろうなあって思ったりしてる。リアル化をすすめた後で、今はそういうのを表現としてポストエフェクトで表現するのがナウい、って感じになってる時期には来たかなあと。最近は、行き着くトコまで来ていてちょっと見直されている時期なのかも。

ウーン、なんか珍しく文系的な記事になった。結構好きだったりするのですな。